わたし、さくらがであった人・であったもの・であったことなどについて思い出すままに思いつくままに
書いていきたいと思っています。 |
もう随分昔のこと、ある日曜日、わたしはそのころ始めたばかりの仕事場の仲間に誘われてある勉強会なるものに参加した。そのような場は初めてでもあり午前中、多少緊張気味のまま昼休みをむかえ、みんなで近くのレストランへ
昼食をとりに行くことになった。会場からの細い路地を何となくみんなについて歩いていたわたしの側で
突然「きれいだね!」と声が聞こえて、はっと見ると路地を出た角の花屋で鉢植えの花たちがいっぱい並んで
昼の陽射しを浴びていた。その、わたしに話しかけた声の響きから、いしわらさんがほんとにきれいだと思っていることが
伝わってきた。それがいつしかわたしにとっては大事な人(先生とお呼びしたい人)になったいしわらさんとの出会いの一瞬だった。 それから2年ほど、その人をお呼びしての仕事場仲間での勉強会やその人が所属している団体主催の講座などにも出かけるようになっていた。あるとき、雑談していてダンスのことが話題になった。「えっ、先生がダンスなさるんですか?」思わず頓狂な声をあげたわたしに、にこりっと頷いた。 それから間もなく、地方での仕事の帰りに時間ができるから、とダンスに誘ってくださった。東京駅の中の喫茶店で待ち合わせて、足早に歩く後について初めてダンスホールなるところに入った。薄暗い中にミラーボールの光が流れるホール、戸惑いながらもリードされるままに動いた30分ほどの時間、たった一度だけのその人とのダンスだった。 旅の帰りの短い時のためにダンスシューズも用意して、わたしの驚きに具体で応えてくださったのだった。 |
車で30分ほど走ると信楽高原というところに住んでいるので、川沿いの道をたどり高原でその時の気分に
合うところを尋ね、また別の川に沿って戻ってくるのがわたしのお気に入りのドライヴコースの一つになっている。何も予定のない休日にはいつのまにかわたしの車は大戸川
あるいは信楽川沿いの道に入りこんでいたりする。春先になると、あまり目立たない花や様々な芽吹きの色を見せてくれる木々の間をゆっくりと見て廻るのがいつしか習慣になっている。 数年前のこと、杉木立に覆われた山道を抜けて川辺に僅かばかりの田を持つ山里に入った途端キラキラ光る大木がわたしの目に飛び込んできた。折からの朝陽を受けてまばゆいばかりに輝くまさに黄金色の木だった。今までも何度も通ったのに初めて出会う光景だった。 数日後、再びその木に出会ってみたくて出かけたが既に若い緑色に覆われていた。そう、ひっそりとした隠れ里を守るかのように立っている桂の大木の芽吹きの一時季の姿だったのだ。そのとき以来、そこを通る時にはその木を目に留める習いになった。 夏にはハート型の緑の葉が涼しげに茂っていた。葉色は次第に変わり、秋深くなるといつのまにか裸の木になっていた。 春になるとそろそろその頃と思い通ってみるのだが、少し早すぎてまだ赤味を帯びていたり既に緑になっていたりであれ以来一向にあの輝く黄金色には出会えていない。 あれは一瞬の幻だったのだろうか? |
中学3年の春だったと記憶している。ある日の放課後、図書室にいたわたしに声をかけてきた教師がいた。
転任してきて間もない英語教師でクラスも教科もわたしとは無縁の人だった。
職員会議が始まるまでの時間でもあったのだろうか、
職員室での同僚とのお喋りから逃げてきているとのことで、
いつのまにかわたしはその人が太宰 治のことなどを語るのに耳を傾けていた。この15分ほどの時はわたしにとって
新鮮だった。それまで知っている他の教師たちやわたしの周囲の大人とは違って、ひとりの人として対してもらっているという嬉しさがあった。 それからは、登校の途上などで偶然出会うと、10分ほどの道のりを足早に歩くのについて話を聞いたりもした。本業は詩人というこの人の本が 出版されると、白い表紙の中央に赤い文字で蛇と印刷された小さな本を手にいれ、よくは解らないまでもこの人が自分と厳しく向かい合っていることに 深い印象を受けたりもした。高校に入る時、そこにいるという詩を書く人を紹介してくれたこともあったが、詩とは無縁なわたしは自然とその人との連絡を とることもなくなっていった。 それから長い時を経て、実家で中学の同窓会名簿の中にその人の名前を見つけたことをきっかけに手紙のやり取りが始まったのだった。そんなある時やはり 実家への用事のついでにその人が住んでいる街に出かけ久々に出会うことになった。駅まで迎えに来てくれたその人について歩きながら気分はすっかり中学 時代に戻っていた。次の春には定年になるというその人は自由な時間を待ち望んでいるのでもあった。が、その翌々年、交通事故に遭いそれがすっかり治りきらぬ うちに今度は癒え難い病に侵され、数年の闘病の末、帰らぬ人となったのだった。 亡くなる直前まで詩への思索を深めていたその人は自分の戒名まで決め、死を知らすべき人まで伝えてある周到な人でもあり、遠くに住むわたしも その日のうちに奥様からの電話を受けたのだった。 自分を問いながら生きることをこの人から学ばせてもらった。時間にすれば一日にも満たないくらいの時を共有したに過ぎないけれど、この人との出会いはわたしに とってとても大切なものになっている。奥様とこの人のことを語り合い、今も時折の文通が続いている。 |
ある日、さくらは森の中の道を歩いていた。すると、呼び声がするので行ってみると今まで見たことのない不思議な
木が立っていた。まっすぐな幹から放射状に水平の枝、そこからまた垂直に枝が出ているというふうで見上げると上の方がどんどん
大きく広がっているようでジャングルジムの中にいるような気分になった。 「おい、おまえ、この森に来たからにはまずこのおれさまにあいさつしてしかるべきだ」 「あなたは、だーれ?」 「おれはベキベキの木さ。」 「ふーん、どうしてそんなにカクカクしているの?」 「おれは曲がったことが大嫌いなのさ、いったいこの森のほかのやつらときたら妙にくねくねしおって気にいらない。そもそも木と いうものはまっすぐに天を目指すものなのさ。おまえもおれさまを見習ってなすべきことを目指してまっすぐに生きるべきだ。どう だ、解ったか?」 ベキベキの木ににらまれたさくらは、早く逃げ出したくて、 「解りました。ありがとう、ベキベキの木さん。」と言って大急ぎで走り出した。 しばらく行くと今度は、枝という枝が絡み合いくっ付き合っている木に出会った。 「こんにちは、あなたはだーれ?」 「わたし? わたしはネバネバの木・・・」 力ない声が返ってきた。 「あなたはそんなふうにいてしんどくないの?」 「しんどいだって? わたしのようにネバで全身を包み込んで身を守るのが木としてあらねばならない姿なのよ。こうしていれば 何に攻撃されたって安全だもの。あなたもわたしを見習ってネバをまとってみることね。」 なんか息苦しくなったさくらは、 「ご忠告ありがとう。」と言ってそそくさとその場を立ち去った。 小高い丘のようなところに出ると、そこには未だ小さい木が立っていた。 「こんにちは、あなたはだーれ?」 「やあ、こんにちは。ぼくはタイタイの木。」 元気な返事を聞くとさくらはさっきまでの息苦しさから開放されたような気分になった。 「あなたはとても楽しそうにみえるわ。」 「解る? だって、ぼくはいつも…タイって思うとそうなるの。さっきもね。小鳥さんがぼくのところに来たから一緒に遊び たいって思ったの。そしたらぼくの枝がちょうど小鳥さんを乗せられるくらいに伸びて、風さんがブランコにしてくれたの。」 「ふーん、わたしも…タイって思ったらそうなるかしら?」 タイタイの木は無言でコックリうなずいた。 さくらは軽やかな足取りで森を後にしたのだった。 |